「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある

こんにちは。

ここのところ、と言ってももう一年以上になりますがコロナのニュースばかりでげんなりしますね。

タイトルは中島らもの『今夜、すベてのバーで』の一文です。 コロナに対して公的な、あるいは企業の対策の問題は多くあるでしょうが、 一人ひとりに求められるスキルとして「一人で時間をつぶせる技術」があり、 また、世界中で「教養」が試されているのかもしれないとこの一文を読むと感じます。

教養というと高尚なもののように感じられますが、 「一人で時間をつぶせる技術」と思えばハードルは下がります。 いわゆる教養っぽい取り組みだけではなく、 DIYでなにか作ったり修理してみたり、お菓子を作って食べてみたり、 筋トレとかジョギングとかでストレスなく時間を使えるなら 「一人で時間をつぶせる技術」である「教養」があるといえるかもしれません。 このご時世ならオンラインで友人と会話を楽しむのも 「一人で時間をつぶせる技術」の拡張と考えられるかもしれません。

「教養(=一人で時間をつぶせる技術)」を磨いて感染症とともに生きる時代を乗り切りましょう。

ちなみにこのシーンはドラッグも含めて中毒患者が発生する原因についての、主人公による考察の場面です。 前後を含めて引用すると…

 アル中の要因は、あり余る「時間」だ。国の保障が行き届いていること がかえって皮肉な結果をもたらしていることになる。日本でもコンピュー タの導入などによって労働時間は大きく短縮されてくる。平均寿命の伸び と停年の落差も膨大な「空白の時間」を生む。「教養」のない人間には酒 を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、 「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。
 要因は完璧なまでにそろっている。

私はほとんどお酒を飲みませんが、飲まれる方はお気をつけください。