「オリンピックを楽しみたい」は手段のうち

こんにちは。

ソチオリンピックやってますね。夜更かしする気力はないので、いつもニュースで見てます。

で、「オリンピックを楽しみたい」っていうやつですけど、これは昔と今のアスリートで考えている事が全く違うという事ではなく、今も昔も第一にいいパフォーマンスを出す事を考えていると思うのです。

いいパフォーマンスを出すための手段として、メンタルの持っていき方を「国のため」とか「絶対金を取る」にするか、「自分のため」「楽しみたい」にするか。それだけの違いですよ。どっちがよりよいパフォーマンスに近づくか。昔は前者がいいパフォーマンスにつながると考えられていたのが、今は後者。というだけ。

負けてヘラヘラするな、という気持ちはよくわかりますが、それぐらいプレッシャーから解放されている方がいいパフォーマンスが出せる人のほうが多いでしょう。負けたらどうしよー、とか思いながら萎縮する方がマイナス。

内田樹さんの「修行論」

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内田 樹
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 この本では「敵」という概念を、「心身のパフォーマンスを低下させるものすべて」としています。つまり、心身のパフォーマンスを低下させるものを排除することが勝つということにつながるわけです。ですから、心身を萎縮させるプレッシャーを与えるようなことを言う人はすでに敵なのです。いかに最高のパフォーマンスを実現できるかを考えて、気楽に応援するのがいいのですよ。

それにしても日本勢、ジャンプで銀メダルの葛西選手はベテランですけど、全体的には若い人がすごいですね。若い人をゆとりゆとりと馬鹿にする風潮がやんわりあると思うんですが、世界一を狙うような超一流を出すためにはこういうゆとりのある環境がよかったのかも知れないですね。こういうのは時代の要請で決まるんでしょうけど、画一的に詰め込んで平均値をぐっと上げた人たちが必要な時代から、多少平均値が下がったとしてもバラエティにとんだ人材・飛び抜けた人を必要とする時代へかわって来ているんだろうな。