若干○歳と弱冠○歳

こんにちは。

最近インターネットでうろうろしていると、「弱冠○歳」とするべきところを「若干○歳」と書いてあるのを非常によく見る…どころか弱冠の方を目にしないので「もしかして俺が間違ってんのかな」という気になってきました。

…とはいえ日本語の正しさを考えるといろいろややこしいですよね。この件について検索してみると、「弱冠」自体が本来20歳の男性を示す言葉らしい。「弱冠」だけで20歳の意味なので、「弱冠20歳」という言い方は意味が重複するわけです。だから本来は間違いの可能性がある。で、そのうち「弱冠」が若いことを表すよう意味が拡張されて「弱冠20歳」だけじゃなく、「弱冠19歳」「弱冠25歳」などと若い男性を表すようになって…などと変遷しているらしいのでどの時点をもって正しいと判断するのかっちゅう問題をはらみます。でも、すくなくとも「若干○歳」はダメだ。 

「正しい日本語」みたいなのを考えていると、昔教育テレビの「にほんごであそぼ」で野村萬斎がでてきて「画家が蛾がいる画を描いた」としゃべっていたのを思い出します。見たとき意味がわからなかったのですが鼻濁音のトレーニングなのですね。日本の標準語は明治時代の山の手言葉をベースにして、国内の言葉の最大公約数みたいなものになっている…はず。徐々に減ってきてはいるものの関東では鼻濁音を使用するので、関西人の私にはほとんど聞き取れませんが鼻濁音を使用することが標準ということなのだと思います。というかNHKは子供相手にそんなことするのかと本気度にびびりました。

基本的に標準とされる言葉の変化に対しては極力保守的であるべきです。それは極端にいうと変化が早すぎて世代間で会話が成り立たないことがあってはコミュニケーションツールとして不適切であることから自明です。一方で言葉は変化するものなので、どこで線引きして判断するのか難しいですね。

個人的には昔の言葉から新しい言葉を類推できるような連続的な変化はOKで、不連続な変化はNGという印象です。言葉ってのは難しい。とりあえず持って回ったような言い方をするときは、こまめに辞書を引いたりネットで検索するしかないなぁ。すべからく辞書を引くべし。

あとどうでもいいんですが、かわりそうな予感がする言葉は「読む」が、とくに黙読する場合「見る」にかわる気がします。今でも漫画や雑誌だと「読む」じゃなく「見る」を使う人は結構いますよね。絵や写真が多ければそれほど違和感ないです。これがそのうち文章だけを「読む」にも浸食してくるような気がしています。この記事が100年後残っていたら予言のエントリーになっているはず。はず。

 

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